気ままに書いてます。

【ビジネス】と聞いて何を連想しますか?

金儲け主義、ビジネスライクなど悪いイメージを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。言葉の響きがマイナスに聞こえると思いますが、それは本質ではないです。

ビジネスは

汚いこと、冷たいこと、他人を蹴落とすもの

ではありません。

僕が考えるビジネスとは何か

価値を提供すること

だと思います。
その結果換金されるという風に捉えています。

誰に
①ユーザー
②社内
③社会
の3つがあげられると思っています。
そもそもユーザーに価値を提供できなければビジネスの存続はありえません。

最終的にはは社会に価値を提供することが、理想的だと思っています。
特に昨今ではエシカルファッションやら社会起業といった会社が少しずつ当たり前になってきているのを感じます。
エシカルファッションで言えば、ステラマッカトニー
社会起業の代表的な会社で言えば、NPO法人フローレンス、マザーハウスなど。
世界的にもそういった波が来ているのをひしひしと感じます。

そんなの全然知らない。と思った方は徐々に感じるようになるはずです。

消費者一人一人の価値が問われている

今の社会はインターネットを通じて情報が明るみに出てしまうので、良くも悪くも悪いことは出来ないようになってきています。
あとは僕たち一人一人に善悪の判断や倫理観などが問われているだけです。

一人一人に出来ることなんて限りがあるよ?と思う人もいると思います、僕もそう思わざるを得ない時はたくさんあります。
ですが、そんなに斜に構えずにも意外に出来ることはあるのではないかと思います。

例えば飲み会をやる時に労働者をないがしろにする某大手チェーンに行くのか、地元の食材やフェアトレード材料を使ったお店に行くのか、
安い工場の労働者を劣悪な環境で働かせて作った安いファッションを買うのか、大量生産大量消費のモノを買うのか

など、あなたのさじ加減で変えられることがたくさんあると思います。それが個人個人の意思表示にもなります。選挙と同じですね。
もちろん人間誰しもふところ事情や様々な状況、優先度などが関係してくるので、こうしなければ悪い人間だー!みたいなつまらないことを言うべきではないと思いますが、今は行動に移せなかったとしても、少しずつ一歩ずつ行動を変えていくことは可能で、まずは心の持ちようから変えてみたら良いのではないかと個人的には思います。

そういった人たちが増えていけば、少しずつ世の中も変わっていくと信じています。
理由としては消費者が倫理観を持てば、企業もそれを無視することは出来ないからです。企業が変われば社会が変わります。
先程言ったようにユーザーに価値を提供できなければビジネスの存続はありえないからです。ですが本来は、無視することができないから企業が変わるのではなく、そもそもビジネスとはそういうものだという意識のもと企業が変わってくることです。僕はそう思います。

少し前の僕はこんなことを言っていました。

自立することが大切で、利益は大切。

これは今も変わりません。

俺は自分が犠牲になってまで社会貢献を成せるとは思ってない。
まず自分→社会貢献があるのね。自分どこOKの基準はあるけど。
それは良い悪いとかではなく、そういう人間なんだってことが解ったしそう理解してるのね。

社会貢献やお客さんに喜んでもらうにしても、ビジネスを回すために自立しなくてはならない。

結論としては価値を提供することだけど、それには持続可能であるべきで、利益が必要だと思ってるの。風が吹けば倒れるようじゃ困るのよ。
なのでビジネスとして成り立つのか(自立できるか)試算は必ずするし、
課題解決と利益を生み出すのはセットでなければいけないと思ってるの。

課題解決するから利益はいらない。
利益があれば社会貢献なんかしねー。

のどちらでもない。

両方絶対に必要なのよ。

「道徳なき経済は罪悪だ、経済なき道徳は寝言だ」

がまさにピンときているわけ。
両方ないと成り立たないのよ。

僕は学生時代NGOや国際協力師を目指していて、フィリピンに留学したり、孤児院でインターンもしたことがある。そして、その時に得た知識と経験を基にNPOやNGO界隈をあまり良く思ってない。それはアフリカのNGO界隈の結果を見ても言えると思うけど、援助してきた結果、彼らの自助努力を阻害した→自立出来ない負のサイクルになってしまっている。フィリピンの現状もそうだよね。アメリカの寄付。お金くれる。自立心を阻害してしまった。台湾も教会がパンくれる→宗教にハマるって結果が出てるわけね。正確に今を表せてるとは思わないけど、それは俺が物乞いの人に対して何かの対価としてお金払えならOKだけど、ただ金くれ、はダメだと思っているのと繋がっているのよさ。
大切なのは自助努力。

ビジネスの話に戻ると、もし試算で成り立たないようだったら助成金や寄付をもらうとかやり方はあると思うけれど、もしそれが途中でなくなってしまったら成り立たない。自立できない、そしたら課題解決もクソもない。
助成金があったとしてもどのタイミングで独立出来るのか、するのか、考えてなきゃダメだと思ってる。ボランティアや寄付をベースとしたものじゃなくて、それが出来るのがビジネスっていう土台だと思ってるの。なので繰り返しになるけども、いくらビジネスの本質が社会貢献や価値を提供することであっても、自立するために利益が欠かせない。と思っている。
もちろん行政の支援で支えるべき分野や課題・規模の大きい課題はあるとは思う。
社内のことで言えば、もし社員をを雇うようになったら、還元するべきだし、そうしないと良い循環は生み出せない、良い人材は集まらない負のサイクルに陥ると思う。そこも自立していなかったら、良い循環を生み出せずに価値を提供できずに、継続することすら困難になってしまう、それはイカン。なので営業利益が大事なの。

利益は後から付いてくると同じじゃんと言われるかもしれないけど、欠かせないのは利益を生み出していこうという姿勢=ビジネス視点があるかかどうかだと思う。
もしそれがなければ、循環させていくことは出来ない、あるいは時間がかかりすぎると思う。NPOは助成金をもらって、その組織を成り立たせるためにやってるような組織もあるよね。それには反対なわけ。自立していない=持続可能性がないから。利益がついてきてないわけ。
言葉的には持続可能だよ。でもそれは本来の意味の持続可能とは違うと思ってるの。

もちろんそれでも助成金もらいながらカバーしなきゃならない分野や課題はあるからそういった組織を全部なくせとは思ってないよ。今は違うけど、立ち上がりのフローレンスみたいにね。フローレンスは形こそNPOだけど利益を上げて自立しているし、もう寄付や助成金が無くても回せていけるレベルにあるからひとつの理想形だと思う。
もしそのマーケットがない=病児保育を求める人々が元からいなかった、あるいはそのマーケットに価値を提供できなかったら成り立たないでフローレンスも助成金をもらい続ける、理想を唱えつつも組織を成り立たせるために助成金を使うだけの組織になってしまった可能性もあるわけだよね。
NPOだからダメ、株式会社だからダメとかではなく自立しているかどうか。が大事だと思っているの。

ビジネスの考え方で勉強になった本

装丁だけ見たら、「ただ儲けよう」だろと思うかもしれませんが、違います。

日本人はユダヤより華僑から学ぶべし

華僑がすごいのは、白人のメリットを享受できないにもかかわらず、グローバルに成功をおさめていることです。華僑と日本人は東洋思想がベースとなっているため、華僑の教えは理解しやすいのです。

なるほど、と学ぶことが多かったです。
具体例を少しだけ上げてみると

①人間共通の目的は「富」と「貴」
古今東西人間が目指すところはお金と地位。ややこしいことは考えなくていい、キレイな言葉はいらないんです。
お金が欲しいとハッキリ言わないのが日本の文化ですが、起業するならその2つへの欲を認め、受け入れるべきです。

社会にお金を回さなければ商人の価値はないのです。

これはお金が儲かれば何をやってもいいのかとは真逆の考え方です。
シンプルに「親族に恥をかかせるようなビジネスはしない」もといビジネスではない。

②社長が潤わなければ従業員を守れない
本の中で酸素マスクの例をだしているのですが、親が子供にマスクをつける時に自分が酸欠の状態では落ち着いて子供にマスクをつけることはできません。
これを会社に例えると、会社の利益を上げて、しっかりと報酬を取る&贅沢をしない。自分の快楽のためではない。
つまりはしっかりと自立しましょうということだと言えると思います。

他にも「途中の失敗は失敗ではない」など
僕も1度キャッシュゼロ状態に陥りましたが、身にしみる言葉です。
上の方で僕が言いたかった、価値を提供する、社会にお金を回す、自立するにつながる、とても共感のできる考え方だと思います。

※中国人と華僑は別物と捉えています。
詳しくは書きませんが、中国人は攻め、華僑は守り。

まとめ

ビジネスは価値を提供してこそビジネスであり、ビジネスライクとかビジネス=傍若無人な金儲けと捉えられがちなのは違うのでないか。
ということをお伝えしたかったです。

「道徳なき経済は罪悪だ、経済なき道徳は寝言だ」

目指すべき社会はなんなのか、この本も影響を受けた1つでオススメです。

こういう世の中にしていきたい。そういう視点だけじゃないだろうか、ビジネスとは。こういう世の中になった方がみんな幸せじゃないですか?そう思って良いんだということを強く問いたい。改めて思う、残業代出したら会社が潰れてしまうと言う経営者は真価を問われている。成り立っていないんだと。

そして、あえて社会起業家と言う必要はない。起業家とはそもそも社会起業家のことなのだから。10年後にはそうなっている。社会起業家というテイヘンかも知れないが、そこに豊かさは伴う。

ABOUT ME
アバター
Shu
『好いかげんに生きる人』 <プロフィール詳細>
同じカテゴリの記事です。